備忘録

 

 母が亡くなってもうすぐ1年になる。

 

どこかに記録しておかないと忘れそうだからここに書いておく。短いけど。

 

 

 

 

 

 母は乳がんで亡くなった。他のところにも転移していたらしい。検査に行ったころにはかなり進行していたらしい。らしい、というのは私がその詳細をあまり聞いてはいないことと、聞いたけれどあまり覚えていないからだ。もうすでに記憶が曖昧である。母は専業主婦で定期健診などとは無縁であったと思う。

私が実家から少し離れた県の大学に進学し、5月に一度帰省したとき母はかなり痩せていた。「健康診断にいくから怒られないように痩せたんだよね」と言っていて、馬鹿な私は疑いもなく信じていた。それから8月になって再び母と会ったとき、普段かぶらないような帽子をかぶっていて、実は癌になったと打ち明けられた。抗がん剤治療でたぶんすでに髪が抜けていた。あんなにたくましかった母がすこし弱弱しくなっていた。

 

そこから2回ほど年末にかけて会う機会があったが、8月と見た感じの様子は変わらず、治療を続けてなんとか元気に振る舞うことはできる、という感じだった。次に会ったのは入院した母の見舞いに行ったときだった。市内でいちばん大きい病院で、友人に囲まれて母は笑っていた。慣れない病院と入院着を着た母の姿が見慣れず、居心地が悪かったのを覚えている。それから2週間後、父から母の容態が急変したと連絡があり、母のもとに行ったころにはもう意志の疎通はできない状態になっていた。そして1日も経たずに母は帰らぬ人となった。検査に行って、癌が発覚して、入院して、治療して、最期まで1年もなかった。

 

 

 

 私は自分の行いすべてに後悔しかない。どうして会いに毎週帰らなかったんだろうとか、父の連絡より前に会いに行っていれば感謝の気持ちを伝えられたかもしれないのにとか。入院中の母に会いに行ったのも、友人から言われなければたぶん会いに行っていない。もしかしたら死ぬかもしれない、という考えが頭になかった。なんとか治療がうまくいって生きているだろうと思っていた。世の中そんなにうまくはいかない。

母の写真はあまりのこっていなかった。写真を撮りたがる人だったが、自分の写真はあまり撮ろうとしなかった。それもまた、形に残る思い出がない気がして悲しかった。写真は意外と大事、とくに人が写ってるやつ。

 

 親子のかたちは人それぞれであるがもし関係が良好であるならば、通話とかでもいいから、コミュニケーションをとっていたほうがなにかあったとき後悔は少ないと思う。個人的には。

 

 

 

 

 このようなことを記そうと思ったきっかけは、昨年10月に行われた好きなアイドルグループの配信ライブで、メンバーの一人が、生きてさえいれば絶対に会えるよ、という旨の挨拶をしたことだ。それを知ったとき母のことを思い出して泣き、何万というファンの生きる理由になろうとしている彼、及び彼らがまぶしくて仕方なかった。こうして書いたのはこのタイミングとなってしまったけれど、きっかけを与えてくれてどうもありがとうございました。

あと、自分は比較的精神的に安定している人間ではあると思うが、母が亡くなってから少し辛かった部分があり、そんなときにアイドルを応援するという行為に意味を見出し心の拠り所とすることができて良かったと思う。だいぶ精神が安定した気がする。ただ、向き合うべきことからアイドルを理由にして逃げているだけの気もする。

おわり。